TOKYOポエケット

ポエケットニュース

第二回東京ポエケット騒音記

第2回目のポエケットも参加してくださった皆さんの協力で無事終了いたしました。ありがとございました。今回はゲストを招き、リーディングも絞りに絞った展開となりましたが、概ね評だったようです。前回同様、「時間が長くて、おなかへったよお」というご意見が多く(笑)、回からは時間も絞りに絞りますので、おなかも大丈夫、ご安心ください。それではヤリタミコから当日のご報告を。

2000年7月9日(日)14:00から20:00、江戸東京博物館で、第2回TOKYOポエケットを開催しました。参加グループは18グループ、延べ参加人数は約300人。第1回と同じくらいの人数でした。今回は、ビデオポエムは取りやめにして、リーディングも時間と人数を絞って計画しましたが、それでもリーディングは約3時間。うーん、次回は全体に短い時間で開催予定なので、もう少ししぼらなくちゃなりませんね。

☆ 音声詩vsクラシック演奏??

メインゲストの足立智美さんの音声詩演奏は、はっきりと好みが分かれました。言語ではない音声の音量に直撃されて、苦痛に感じた人たちがいました。同時に、岡田鉄平さんのヴァイオリンのクラシック演奏が、この足立さんの演奏の好き嫌いと反比例しているところが、ナカナカに愉快な結果となっています。つまり、足立さんの演奏がスゴイ、もう一度聴きたい、あれって何?シゲキされてあとからいろいろと感想がわいてくる、というタイプの人たちは、岡田ヴァイオリンは、快感とまではいかなかったようです。逆に、足立さんにアレルギー反応を起こした人たちは、岡田ヴァイオリンの繊細な音色には陶酔傾向です。

あきらかに、足立さんは前衛・現代音楽のジャンルとしての演奏なので、クラシック音楽とは対立するのは予想どおりでしたが、このように見事に分かれるとは!

筆者ヤリタミサコは、岡田さんのヴァイオリン演奏は、いわゆるお手本的ではなく、優れた技術に支えられたうえで自分の解釈がきっちり表現され主張されている、個性的な演奏だと感じましたし、足立さんの音声詩は、理性や意味の統治下に置かれていない、人間の身体言語の荒々しい力を表現したのだと感じました。足立さんの演奏は、意味体系を持つ歴史的なコミュニケーションツールとしての言語を無視し、おびやかす存在だったかもしれません。ジャック・ロンドンの荒野の呼び声的な、文明の枠組みに揺さぶりをかけてくる、道具としての言語への脅威だったと思います。なので、防衛的になってしまった人たちもいたのでしょう。音量も、ロックなどを聞き慣れない人たちには、むずかしい音量だったかもしれません。

ジョン・ケージの言語によるスコアの演奏はきっちりと休止部分も演奏され、フーゴー・バルの無意味音の表現も正確に演奏され、足立さん以外にはできない演奏の数々でした。
万人に理解される必要はないが、もっと多くの人たちに足立さんの演奏を聞いてもらいたいと思います。拒否反応が起こるのも、ナゼ?と考えてもらえればオモシロイのになあ。例えば、ピカソの絵は30年前だと「わけわかんないもの」の代名詞だったけど、今じゃ、古典でしょう。ケージも足立智美も、ピカソ以上に前衛だよ。

☆ リーディング?朗読?

1997年くらいから、ポエトリ・リーディングという名前のイベントが数多く開かれています。そこで自分の作ったコトバの群れや、他の人のコトバなどを自分なりに発声している人たちは、いわゆる現代詩とは無関係な人たちが多いです。谷川俊太郎は知っている、詩のボクシングで、平田俊子と白石かずこは知っているけど、吉増剛造や田村隆一は知らない、といった人たちが主です。自分の思いを肉声で表現することに重点を置いていたり、ユーモアや笑いをうまく取り込みながら、ヒップホップ・ラップなどを自分なりに消化していて、聞かせる技術はスゴイ人たちもいます。(単なる自己陶酔・勘違いナルシストもいないわけではないが)

それに対して、現代詩人と呼ばれる詩人たちは、書き言葉をそのまま発するというタイプの朗読が多く、聞き手に音声を届ける工夫が不足している人が多いように思います。目で読むという行為と耳で聞くという行為の差異または相似について、ポエトリリーダーたちは直感的に自分で位置決めをしているように見えますが、現代詩人たちは、今少し鈍感かもしれません。

そのような現代詩人のなかにも、リーディングでは、ユニークな活動を続けているJAMこと和合亮一+ATSUKOの二人がいます。おそらく他の誰とも似ていない、自分たちだけのオリジナルなスタイルです。ポエトリリーディングシーンでは有名な作詞家のさいとういんこさんは、完全なマイナス評価でしたが、他の参加者はほとんどブラボー、拍手鳴り止まず、状態でした。足立さんの演奏ほどには意味を排除していないし、単語の意味は生かされていて、その連結に個性がある構成の詩は、2声で、重なりくねりヒートしビートしうねっていくパフォーマンスでした。前回の中原中也賞受賞者などという肩書きは、彼らにはたいして関係ないようです。

しかし、朗読の原点はテキストの力です。どんなにリーディングの技術が優れていても、コトバそのものに力がないとダメです。そのことを痛感させてくれたのが、青木栄瞳さんが淡々と朗読した、御庄博実さんの広島の詩です。大げさな身振りも理屈もなく、心に直接働きかけてくるものでした。コトバとは単に道具なのではない、コトバ自身に命があるのだ、と思わせられました。青木さん、御庄さん、ありがとうございます。

☆ ポエケットは荒野を目指す???

リーディングのことばかり書いてきましたが、ポエケットは単なるリーディングの場ではありません。2次元の詩集という名の一方通行缶詰製品ではない、ナマで今でブレスしている詩の交流です。紙やCD・テープに記録されたものたち、それらの媒体を通して、そこに生まれてはすぐに飛び去っていくコトバを通しての、なんらかのやりとりが目的です。これらに感応することが楽しみなんですよね、皆さん。

山中さんの写真詩と何かに挑戦するようなパフォーマンスには、聞き手・読み手はぼんやりしていられない。安田さん・西野さんのオトを十分に意識したリーディングは、方法論とテキストがバランスよく組み合わされていて、一躍ファンが増えました。若手最大のホープ、小笠原鳥類さんのカタロギング・サンプリングリーディングは、アナログ世代の神経を揺さぶるし、北爪満喜さんの写真との融合リーディングは表現の可能性を広げるものです。大村さんの「る」音を活かしたリーディングはとても大村さんらしいし、ポエトリリーディングシーンで活躍されている、佐藤わこさんの「インターナショナルクラインブルー」(カワグチタケシ詩)が立ち上がらせてくるイメージの豊饒さ、平山昇さんの等身大のビート感覚、川畑克行さんの詩を楽しんでいるスタンス、など、柔らかで豊かな生きている詩たちが、会場内外に満ち満ちあふれていましたよ。宮入+ヤリタのコラボレーションも、ジャンルを超えたハートビートを伝えたつもりです。

若手の高原+神谷さんの原宿路上的手作り詩集はイキがよくって、シゲキ的でした。思潮社から詩集を出版するなんてことに囚われてはいけません。ムシムシ!もっとステキなカタチがあります!!(個人的には、神谷さんの路上対話詩集「言葉資本主義」という小詩集が好きですっ!実際に生成過程をやってもらいました。神谷:「・・・については?」ヤリタ:「・・・と思います」という対話から生まれるのです。うーん、リーディングよりも刺激的かなあ)

第1回目から有形無形に大応援をいただいている清水さん・関さん・先田さん・根本さん・松尾さんらの出展者たち、そして広島の有名人此下さん、ヴィジュアルポエトの武石さん、ネットアイドル詩人の琴生さん、名前を全員あげられないのがくやしいですが、ヒグチさん、荒川さん、松本さん、立花さん、山岡さん、須永さん、阿蘇さん、小林さん、森川さん、飯村さん、庸介さん、桐田さん、中村さん、片野さん、相沢さん、吉田さん、枝川さん、井本さん、啓子さん、稀さん、駒ガ嶺さん、斉木さん、益子さん、沢田さん、海猫さん詩を遊ぶ人たちみんなありがとう。

で、予想通り、もっともすさまじく現代詩の未来に挑戦していたのが、9月15日の関が原の戦い前哨戦をやってしまった平居謙さんと長澤忍さんです。この二人は、詩のうえで何をしでかすかわからない危険人物です。わたしたちポエケットは、彼ら詩的テロリストを支持し、レボリューショナルな行動をたくらんでいきたいと思います。(次回は、詩的アナーキスト、里宗巧麻と????、現代詩転覆を図るか???)

行き先は、誰も行かないコトバの荒野か、はたまた豊饒のコトバの海か??
次回も江戸博会議室にコトバの爆弾をしかけまくるぞお!